「分かってくれない」ストレスを感じている人に読んで欲しいコミュニケーションの話

りんごと本

「何で分かってくれないんだろう?」

どれだけ細かく、丁寧に説明したとしても、自分の気持ちを分かってもえないことって、おおいにある。

分かって貰えないことによる、フラストレーション。

それをつき詰めていうと、

「話せば、分かってもらえる」
「分かってもらえたら、相手が自分の望み通りに行動してくれる」

そう期待しているから、フラストレーションが起こる。

そして、私たちは、
”みんな自分と同じものを見ている”と無意識に信じ込んでいるから、

「話し合えば、分かり合える」と思っている。


“同じもの” は、見ていない。

例えば、今、目の前に、林檎が1つあって

それは、赤くて、大きな、まあるい林檎で

いい香りがして、甘そうだな、と想像してみる。

ほんの些細こと。

でも、あなたはなぜ、目に前にある、赤くて、大きな、まあるい物体を、林檎だと認識したのでしょうか?
そして、いい香りがした時、なぜ、甘そうだな、と思ったのでしょうか?

それは、その物体が林檎であると、知っていたから。

赤くて、大きな、まあるい物体の情報が、視覚を通して脳に送られてきます。

脳に蓄えられた記憶と照合して、その物体が「林檎」だと認識します。

さらに、嗅覚が香りをキャッチすると、これも、「いい香りがする林檎は甘い」という過去の記憶と照合して、甘そうだな、と無意識に感じているのです。

生まれて初めて、赤くて、大きな、まあるい物体を見た人は、
それを「林檎」だと認識することはできません。

この、脳にストックしている「学習データ」。

五感を通して入ってきた情報は、この学習データと照合して、判断や解釈が生まれます。

もし仮に、過去にいい香りの林檎を食べたとき、腐りかけていて、お腹を壊した、という人がいたとします。

もしかするとその人にとって、「いい香りがする林檎」から想像するのは、”甘そう”ではなく、”腐ってそう”とか、”食べたらお腹痛くなるかも”といったことかもしれません。

簡単にいうと、子どもの頃に犬に噛まれた人と、噛まれたことがない人がいて、
二人が同じ犬を見たときに、怖いと感じるか、可愛いと感じるかの違いです。

同じものを見ているのに、全く違った認識や解釈をするのは、私たちは無意識に、それぞれが違う「学習データ」を持っているから。

「時間はきちんと守りましょう」と育てられた人にとって、「時間を守ること」は当たり前。

だから、緩やかなタイムラインで生活する環境で育ち、時間にルーズな人に対しては、なぜ平気でそんなことができるのか、理解できなかったりします。

意外と「自分が思っている当たり前」は、他人にとっては当たり前でないこともたくさんあるのです。

だって、生まれてきた場所も、育った環境も、経験してきたことも、まったく同じ人なんていないのだから。

だから、「話しても分かってもらえない」ことに嘆くよりも、

「そもそも100%同じ認識をもっている人はいないし、分かり合えないこともある」と思っておいた方が、自分の中のストレスは軽くて済みます。

ただ、分かり合えないといって、初めからあきらめるのではなくて、それぞれが違うものを見ているからこそ、コミュニケーションが大切なのです。

・察してよ
・言わなくても分かるでしょ?
・当たり前でしょ?

は、自分自身を苦しめ、相手との関係をぎくしゃくさせるモト。

・何で言った通りに動いてくれないの?

は、相手を自分の思い通りにしたいという期待。

100%の相互理解が生まれるかは、わかりませんが、
お互いに歩み寄る、譲り合う努力から、信頼関係が築かれていくのではないでしょうか。

その上で、どうしても無理なときは、関係性や接し方を見直すことも、ひとつの勇気です。

ただひとつ、忘れてはいけないことは、
自分にとってその相手が大切かどうか、
相手との関係を継続していきたいかどうか、その本質だと思います。