シビックプライド2【国内編】

シビックプライド研究会

(1−2)第3部「考えてみよう」P.126〜173 要約

多くの都市が勃興した19世紀のイギリスでは、新たな都市の主役となった市民階級の主導で公共建築や公共空間が整備され、それはシビックプライドを体現するものであったと言われています。当時建設されたリーズの市庁舎は、今でも「シビックプライドの象徴」として親しまれています。自分たちが主導して建設した建築が、都市の象徴となり称賛されればたしかに強い誇りを感じるでしょう。

しかし、現代の日本では一般に公共建築を企画したり、設計者を直接選んだりすることはできません。選挙や納税を通して間接的に都市づくりに参加していますが、その実感を持つのは難しい社会なのかもしれません。また、欧州都市とは歴史的経緯や市民概念が異なるので、市民性に基づく権利と責任の強い意識が根底にあるとも言えません。

そうした中で、近年多くの自治体で推進されている「市民参加のまちづくり」や「市民主体のまちづくり」に参画することは、シビックプライドを醸成する大きな要因となるでしょう。ただ、残念ながらまちづくり活動に参画している人の数は、全体からするとまだそれほど多いわけではありません。

しかし、視点を変えてみると、昔から見られる自宅や店の前の道路を掃除する光景は、日本らしい「より良い場所にするために自分自身がかかわっている」行為とも言えます。身近なスケールで、私的領域から開いていくような関与の仕方が今の私たちには馴染みやすいのかもしれません。それを無意識的な日常の営みと捉えるだけでなく、自分がささやかにでも都市を支えていたり、都市の未来をつくっているという自負につながれば、それはシビックプライドと言えると考えます。

そう考えると、直接的で公的なかかわり方だけでなく、仕事や趣味や日々の生活を通して「この都市をより良い場所にしている人」は大勢います。そういった自分のアクションに対して都市自体やそこにいる人々のリアクションが感じられたときに、シビックプライドが芽吹くのではないでしょうか。

シビックプライドとは、「都市に対する市民の誇り」のことですが、この「市民」とは「ここで生まれ育った」「住民票を持っている」「選挙権を持っている」というような枠で必ずしも規定されるものではなく、別の場所で生まれ育ち移住してきた人も、選挙権を持たない子どもや外国人も市民です。

移民が増えている欧米の都市では、異なる民族、異なる宗教、異なる出身の者でも、同じひとつの都市を構成する一員である、という呼びかけがシビックプライドキャンペーンという形で行われることがあります。出身がどうであれ、まちの一員として未来をともに形成していく意識を持ってもらうことが大切なのです。地縁血縁にかかわらず多様な人々がさまざまな場所から集まってきて、それを許容するのが都市です。さらに、住民でなくとも、その都市で働いている人や自分の居場所があると感じている人などもシビックプライドを持ち得るのではないでしょうか。

また、企業や組織も広義の市民と言えます。地域と産業の関係は昔から密接で、地域ごとにさまざまな産業があり、それぞれがその土地にある意味、その土地で働く誇り、そしてその産業がその都市にあることに誇らしさを感じていたはずです。農産物、工業製品など、地域固有の資源を活かして、産業は地域を外とつなぐ窓のような役割を果たしてきました。地域のモノを動かすことで地域を開く役目であり、人々の交流の礎でもありました。

特に明治以降、日本経済を支えてきた各地の産業革命遺産がユネスコの世界文化遺産に登録されたことは記憶に新しいところです。産業は雇用を生み出し、地域の暮らしを支え、まちの景観や文化を形成しています。

岡山県倉敷市には、近代的な織物工場をつくり、民藝運動を支え、地域への文化啓蒙に寄与した大原財閥があり、長野県諏訪市には、製糸業を営んでいた片倉財閥が地域住民のための厚生・社交施設としてつくった「片倉館」が今でも地域の人々の愛され使われています。

また、近代産業以前から営まれてきた伝統産業や農業・畜産業などは、地域文化の継承のみならず、環境や景観の保全という意味でも大切な役割を担う存在ともなっています。

別表に見るように、時代によって産業振興施策の重点も変化し、産業構造も働き方も変化しています。現代は、産業がまちに人を呼び込む時代から、まちが人を呼び込むことで産業が生まれる時代へと変化しています。

シビックプライド2【国内編】
著者 シビックプライド研究会
発行日 2015年9月1日