伊藤香織/紫牟田伸子/北村俊明/太田あゆみ/太田浩史/日高仁/佐藤裕/武田重昭/榎本元/松田朋春/杉本浩二
(1−1)第2章「シビックプライドとは何か(伊藤香織)」P.164〜171 要約
シビックプライドとは、市民が都市に対してもつ誇りや愛着のことです。日本語の「郷土愛」とは少しニュアンスが異なり、「自分はこの都市を構成する一員でここをより良い場所にするために関わっている」という、当事者意識に基づく自負心を意味しています。
「you are your city(あなた自身があなたのまちです)」
これは、イギリスのバーミンガムで行われたシビックプライド・キャンペーンのメッセージです。(図1)
こうしたシビックプライドの概念が社会的に非常に重要になったのは、ヴィクトリア朝(1837〜1901)期のイギリスであると言われています。18世紀から19世紀前半にかけて、農業革命によって仕事を失った農民たちが、産業革命によって工場労働者を求める都市へと急激に流入し、イギリスは未曾有の都市化を経験しました。この大混乱を経て19世紀も半ばに差し掛かると、新たに出現したこの巨大な集合が、物理的にも社会的にも都市として整形されていきます。都市間をつなぐ鉄道網が広がり、上下水道などの都市を支えるインフラや公園、市庁舎、ホールといった都市施設が整備され、都市の骨格が形作られていきました。
それまで国教会と王侯貴族という特権的な力に支配されていたイギリス社会において、工業と交易で富を得た市民階級が力を持ち始めたのは大きな変革でした。彼らの中に生まれた強いシビックプライドは、自分たちが都市を形作っているという自負に基づいていました。こうした自治の感覚に基づくプライドは都市の本質とも言えます。
ヴィクトリア都市がかつての時代の都市と大きく異なった点として2つの特徴が挙げられます。
1つは、急激な人口集中によって、かつてない規模の「よそ者」の集まりになっていたことです。しかし、都市は単なる一定数以上の人間の集合ではありません。ヴィクトリア都市では、自分たち自身が新しい世界を作っているのだという高揚感が、雑多な人々の集まりを「都市」というひとつのまとまりにしていきました。
2つめは、ヴィクトリア朝期のイギリスで都市間競争が激化したことです。急成長した多くの都市は、産業を競い、経済を競い、文化を競い、それぞれが自らを他都市と差別化しようとしていました。この都市間競争がシビックプライドをさらに強化しました。
この2つの特徴からヴィクトリア都市は、市民の心の拠り所となり、他都市に対して自分たちを誇るために、シビックプライドを象徴する「メディア」を必要としました。そして、建築をはじめとする文化がその「メディア」の役割を担いました。市庁舎、音楽ホール、美術館、学校といった市民のための建築が次々と建てられ、重々しくも壮麗なこれらの建築は、市民の都市への誇りと愛着を強め、あるいは目覚めさせていきました。
それから1世紀半を経て、新たな都市再生とともに今日再びシビックプライドの概念が脚光を浴びています。
1970年代以降、イギリスの都市は経済の低迷、製造業の衰退、中心市街地からの人口や企業の流入などに起因する深刻な問題を抱えていました。これに対してサッチャー政権は、国と民間企業とのパートナーシップを基調として自由化を推し進め、首都ロンドンでの大規模再開発事業など都市の物的環境の再生を図りました。
その後、1998年に設置された建築家リチャード・ロジャース率いる諮問委員会アーバン・タスク・フォースは、都市再生の提言書『アーバン・ルネサンスに向けて』を発表し、イギリスの都市再生は新たな局面をむかえます。
2000年に発表された都市白書『われらのまち』では、冒頭で「わたしたちのまちには多くの誇るべきものがある」と述べられ、都市再生は何よりもまず「人」のためであると謳われました。ここでは、各地域が行政、コミュニティ、NPO、企業などのパートナーシップのもと都市再生を推進する枠組みが示されるとともに、物的環境の再生だけでなく、よりソフト寄りの社会再生に重心が移行しています。
こうした新しい都市再生の機運の高まりとともに、多くの都市でシビックプライド・キャンペーンが行われるようになりました。前述のバーミンガムの事例もその一つです。ヴィクトリア都市で物的環境の構築とプライドの形成が同時になされていったように、物的環境の再生とプライドの再生が同時に進められようとしているのです。
もちろん、ヴィクトリア都市と現代都市とでは状況が大きく異なり、現代都市では、グローバリゼーションの進展により都市間競争は国家の枠を超え、人口、産業、観光、投資のグローバルな獲得競争が始まっています。一方で、都市内部の外国人の数は増え続け、都市人口の構成はますます複雑化しています。同じ空間と社会を共有している以上、さまざまな出身や立場の人々の気持ちをいかにして都市に向けさせるかは重大な課題です。そうした状況のもと、かつてにも増して今、シビックプライドの重要性が再認識されているのです。
もう一つ、ヴィクトリア朝期から大きく変わった点として、コミュニケーションのためのメディアが挙げられます。ヴィクトリア都市で建築が担っていたメディアとしての役割とは比較にならないくらい、豊富な種類のコミュニケーション・メディアによって担われるようになりました。シビックプライド・キャンペーンのみにとどまらず、より戦略的で複合的なコミュニケーション手法がとられるようになってきています。都市再生におけるシビックプライドの重視と多彩なコミュニケーション戦略への志向は世界中で生じており、EU統合以降国家の枠を超えた都市間競争を実感するヨーロッパでは、特に多くの都市がこうした問題意識をもって都市再生に挑んでいます。
地域に対する誇りや愛着が専ら郷土愛としてとらえられてきた日本でも、近年シビックプライドの概念が注目を集めており、その背景には日本の都市が直面している2つの社会的変化が理由として挙げられます。
1つは、縮小社会の到来です。地方の小都市ではすでに大きな問題となっている人口減少は、今後大多数の都市でも経験するところとなるでしょう。近代以降ひたむきに拡大成長を志向してきた日本の都市は、そのような画一的な価値観とは異なる独自の豊かさを見出していく必要に迫られています。その都市なりの在りように誇りをもつことを欲しているのです。
2つめは、地方分権化による都市間競争の発生です。1990年代半ばに本格始動した地方分権化のなかで、都市はそれぞれの個性や目指す方向を明確にし、住む場所、働く場所、学ぶ場所として選ばれることに対し意識的にならざるをえなくなってきています。そのため、その土地に生まれ育った者が特権的にもつ郷土愛だけでなく、より多くの人々にさまざまな立場からその都市のファンになってもらわなければなりません。こうした現代都市を展開していくために、シビックプライドの重要性が増しているのです。
では、シビックプライドを醸成していくにあたって、そもそもプライドは個人のものですが、個人の力だけで完結的に得られるものではありません。しかし、個人では実現できない夢やチャンスや救いが都市によって与えられることで、あるいは他者とのつながりを実感することで、都市に受け入れられ居場所があると感じることができ、人は誇り高い人生を送ることができるのです。それとともに、気持ちの中で都市がかけがえのない存在となっていきます。そういった流れから、都市の空間や歴史や文化や人々を、自分自身のプライドとして感じ取ることができるのです。そうして得られた個人のプライドが、シビックプライドとなって都市に還元されていきます。
そして、都市が人に誇り高い人生を「与える」だけでなく、都市を自分自身と重ね合わせる人々のアイディアや技術などの資本が、都市にとっての財産となります。都市のあちこちに散らばっているそうしたリソースを集めて編集することで、シビックプライドが都市を展開させていく力となるのです。
つまり、個人ひとりひとりの気持ちにおいて、都市がどのような存在として像を結ぶことができるか、を考えるところからすべてが始まります。その知覚のされ方を完全にコントロールすることはもちろんできないですが、都市として何らかのヴィジョンをもって計画すべきです。その道具立てとなるのがコミュニケーションです。
近年注目を集めている都市ブランディングは、本来都市の知覚のされ方に関する戦略です。そのため、都市ブランディングの手法は、シビックプライド醸成のためのコミュニケーションと深い関わりをもつはずなのですが、現状では地産品販売促進や観光客誘致など外部に対する単なるプロモーション活動に終始していたり、地域名を冠した商品名が「地域ブランド」と呼ばれるなど、その意味は限定的で混用されています。
では、都市のイメージはどのように形成されるのでしょうか。都市ブランディングの観点から、都市のイメージ形成のためには3つのコミュニケーションがあります。
第1のコミュニケーションは、都市計画・組織づくり・助成など具体的に環境を整えていくことによるイメージ形成です。
第2のコミュニケーションは、広告などの手段によるイメージ形成です。
第3のコミュニケーションは、第1・第2のコミュニケーションから派生する口コミのイメージ形成です。
つまり、至極当然のことですが、都市を自分の人生に関わる大切なものとして市民に知覚してもらうためには、まず実態としての都市を市民にとってより良いものにしていくことが必要です。そして、都市の実態的環境改善が市民のクオリティ・オブ・ライフ向上の実感に効果的に結びついていくためには、環境改善の遂行を市民の“気持ち”に届ける戦略も同時に必要とされています。
そのため、シビックプライド醸成のために都市のコミュニケーションが実現しようとするのは、都市の言葉を市民ひとりひとりの気持ちに届け、市民ひとりひとりのアイディアや希望が都市に映し出されていくことです。そのように、都市と人とが共に成長していくポジティブ・スパイラルのコミュニケーションがうまく回れば、都市は独自の豊かさを育てていくことができるでしょう。
現在、日本の都市でもまちづくりNPOや市民参加の都市計画マスタープラン作成などの形で、市民をはじめとするさまざまなステークホルダーが都市づくりを担う仕組みづくりが行われています。しかし、全体で見るとまだ一部の熱心な層が参加しているに過ぎず、大多数の人々は都市に対して無関心なのが現状です。だからこそ、幅広い人々に対するコミュニケーションが必要とされるのです。
また、個々のまちづくり活動も、多くの場合仲間内を超えた人々の心を捉えることに至っていません。そのため、コミュニケーションがより多くの局面でデザインされるべきなのです。
シビックプライド自体をデザインし、市民に与えることはできません。シビックプライドは、個人の中で醸成されるものだからです。そのため、デザインすべきは、シビックプライドを醸成するためのコミュニケーションです。その可能性と戦略を追求している都市は数多くありますが、成功の定石はありません。ひとつとして同じ都市はないからです。しかし、そこにはある種のテクニックと人々の向かい合う姿勢があります。いずれの都市も学び合い、試行錯誤しながら統合的にコミュニケーション戦略を立てているのです。
都市が人々の気持ちの中で誇らしく輝く大切な存在になれるかどうかは、都市自身が彼らのエモーションを呼び起こし、そのエモーションに真摯に応えていく覚悟があるかどうかにかかっています。それこそが、都市に力強く展開していく力を与えるのです。
シビックプライド
著者 伊藤香織/紫牟田伸子/北村俊明/太田あゆみ/太田浩史/日高仁/佐藤裕/武田重昭/榎本元/松田朋春/杉本浩二
発行日 2008年11月28日